しゅわしゅわな日々。

手話をかじりはじめた1児の母の徒然なるまなびの記。

手話のまなびは好きなものから始めてみる。

さっそく三日坊主になりつつあるこのブログ。

書きたいときに書くのがいいペースと自負しているので、どうかご容赦いただきたい…

とはいえ、まなびは好きなものから入るのがサボりがちな自分への特効薬ということで、
こどもの時に出会った手話の世界への興味をもう一度呼び起こしてくれた漫画をご紹介。

『ゆびさきと恋々』作:森下suu

森下suu 『ゆびさきと恋々(1)』講談社 より抜粋

生まれたときから音をうまく聴きとることのできない主人公が、大学生活を送るなか、ある日

"自分をろう者として特別視するのでなく、
純粋にはなしたいという興味を持って接してくれる相手"

と出逢い、同時に自分の知らなかった気持ちや世界にふれ、惹かれ、拓かれていく

という物語。


ジャンル的にはまさに胸キュンラブストーリー(書いてみてちょっと気恥ずかしい)

でもそうしたストーリーもさることながら、とてもとても描写がていねいで素晴らしい。
手話の動きの美しさはもちろん、主人公の雪ちゃんのふとした瞬間の心の動きや、リアルさを感じる日常生活の断片。

なんというか…例えがあっているかは分からないけど、"ろう者"としてではなくて、"等身大のひとりの女性"として描かれている。

セールで可愛いワンピースが手に入って顔がほころぶ。
SNSで目にするかわいいものや綺麗なものに心躍らせ、
気になる相手に恋人がいるのか、どんな女の子が好きな好きなのか、気になってしまう。

ただ、そこにないのは"音"だけ。

つい、私たちは”耳が聴こえない人々”という枠のなかでイメージが先行してしまい、彼、彼女たちが私たちのすぐ隣にいるかもしれないとは考えない。
そうやって、知らず知らずのうちに、意識の外に置いている。

大学生活には、パソコンテイクという授業の内容をキーボードで打ち込んでサポートしてくれるボランティアがいてくれるということも、初めて知った。


ノートテイクのボランティアがアツい!コツや練習方法を教えます│つれづれ情報

この漫画においては、そこまで彼女の境遇に対する悲壮感や深刻さに切り込むような描き方をしていない。
そこが主題ではないのだと思うし、そういうある種、偏ったとらえ方をしていないのだと思う。

ただ、日常生活の描写なかに「あ、こんなことがあるのかもしれない」と感じさせる部分がある。

・会話をききとることができなくても、なんとなく自分の耳のことを話しているのを察してしまう、
・友達がスキンシップで後ろから抱き着いてきてびくっとする(そのあと、事情を知ってフォローしている)
・大学では手話を使いたいけど、ちょっと控えている(その代わり、読唇や筆談をつかう)
・せっかく憧れの先輩とふたりきりの時間なのに、視線を外していたことで相手が話していることに気づかない
(ここではあえて会話の合図をだしていないから独りごとに近いのだが…)
・相手と顔を合わせづらい状況でも、相手の顔をしっかりみないとコミュニケーションができない

ほかにも、ちょっとした部分部分にちりばめられているリアルさが、ひとつひとつ、「ああ、知らなかったな」と思うことだらけなのだ。

この漫画においては、主人公の雪ちゃんのモノローグがとても味わいぶかく、抒情的なんだけれど、
実際に彼女が主人公でなかったら、彼女の胸の内を伺い知ることができるのだろうか?
(この場合、主人公ががんがん自分の気持ちを表現する性格でないこともあいまって)

実際は、言葉が話せたとしてもそれをすべて話せるわけではないから、同じことかもしれないけれど。

また、セリフの表記にも工夫があって、
主人公が読唇で読み取っているセリフは薄い灰色で表記され、ところどころ、読み取りづらい部分が文字が反転していることで、ききとりづらい子音や音があることが分かる。こういう細かな部分にも、発見がある。

1巻では実はなかなかまだ縮まらないふたりの距離。
でも、印象深いセリフがある。

「昔、海外に住んでて、自然と言語やカルチャーに興味をもって、自分を突き動かすものがそれになってて、
遠くにばっか目を向けてたけど、こんな近くにも いたんだなって。」


そうなのかもしれない。私たちが気づいていないだけで。
日常のなかのほんのすぐ目と鼻の先に、自分が知らなかった世界がある。

そんなことを教えてくれるこの漫画。
手話を抜きにしてもとても面白い。ぜひちょっと読んでみてほしいな。